「同性婚姻」不被認可,日本社會少數群體的幸福何在?

fans news 發佈 2022-01-20T11:42:22+00:00

それとも、いま隣にいる人や動物のことかもしれない。看到「家人」這個詞,最先浮現在你腦海里的是什麼/誰呢。還是,現在在你身邊的人或動物。

家族って一體なんだろう

到底什麼才是家人

「家族」という文字を見て、あなたが最初に思い浮かべるのは何/誰だろう。血の繋がり? 食卓を囲む風景? それとも、いま隣にいる人や動物のことかもしれない。

看到「家人」這個詞,最先浮現在你腦海里的是什麼/誰呢。是血親?圍繞餐桌的場景?還是,現在在你身邊的人或動物。

「家族なんて、居たことがない」そう思った人もいるかもしれない。數年前のわたしは、少なくともそう斷言していた。利害のバランスを気にしたり、顔色を伺ったりする関係性を「家族」と呼びたくなかったから。

也許會有人覺得「我根本就沒有家人」。至少幾年前的我,曾經這樣決絕地說道。因為我不願意把這種在意利害平衡、看臉色行事的關係稱為「家庭」。

それでも親族での集まりは定期的にあったし、衣食住に不自由もしてこなかった。養育義務は十分に果たされていて、それを家族と呼び慕わないのは、じぶんがワガママな奴だという気持ちがしたものだ。

即便如此,親戚們還是會定期聚會,衣食住也不愁。他們很好地履行了養育孩子的義務,但我卻不稱呼他們為家人,覺得自己是個任性的傢伙。

逆にあなたやわたしが誰か・何かを「家族」だと感じていても、その気持ちが無いことにされる場面もある。たとえば一緒に暮らしている動物が誰かから害されたとき、それは「器物損壊罪」として手続きされる。長年共に暮らしてきたかけがえのない命でも、法律上は所有物でしかない。

相反,即使你和我覺得某人、某樣東西是「家人」,也會有沒有那種心情的情況。例如,一起生活的動物受到他人傷害時,就會以「毀壞財物罪」來處理。即使是共同生活多年的無可替代的生命,在法律上也只是所有物。

他にも、生身の女性そっくりのドールと同居している人の話を聞いたことがあるが、その人の財産を「彼女」が引き継ぐことはできない。

其他的,像是我有聽過和仿真人女性玩偶同居的人,「她」也無法繼承這個人的財產。

「そりゃそうだ、だって人間じゃないんだもの」…という納得の仕方を、多くの人はしているのだろうか。少なくとも、わたし自身は法や制度に対して、そうやって解釈している節がある。法律は、人間同士の間に起きることの為に定め・運用するものだと認識しているから。

「那是當然的,因為她並不是人類啊」…相信大多數的人都接受這樣的說法吧。至少我自己對法律和制度是這樣解釋的。因為法律是為了人與人之間發生的事情而制定和運行的。

気持ちとしては、「その人が家族として扱っている対象について、外野が」それは変だよ」って言うのはなんと失禮なことか」と思っている。だって、我が家のかわいい貓が誰かから「しょせん貓」と言われ、ぞんざいに扱われることには我慢が出來ないし。

我的看法是,「對於某人把某個動物作為家人的對象來看待這件事,外人說『那很奇怪啊』是很不禮貌的」。因為,我無法忍受我們家可愛的貓被誰說「不過就是只貓」,這樣草率地對待。

つまるところ、「家族」の問題にはそういった「本人の感情」と、生活を進めていく上で生じる「実際的なこと」が含まれているんじゃないかって思っている。

總而言之,我認為「家人」的問題中,應該是包含著像這種「本人的感情」和生活過程中「真實情況」的發生。

でも実際、そこまで細かく考えている人って、どれほど居るんだろう。「一つ屋根の下に暮らしていれば家族」という曖昧な感覚でも、あまり困らず暮らせてしまうことがほとんどじゃないか。わたしの親たちがそうであったように。

但實際上,有多少人會考慮得那麼細緻呢?「生活在同一個屋檐下就是一家人」這種無法具體表達的感覺,幾乎都不會讓人感到困擾。我的父母一樣就是如此生活的。

今回取材した大學時代の知人、Kanさんは今年7月にイギリスへ移住した。彼にはイギリス在住のTomさんという同性のパートナーが居る。

這次採訪的大學時期的友人Kan,他今年7月移居英國了。他有一個住在英國的同性的伴侶Tom。

5年に及ぶ交際期間のほとんどは、お互いが行き來する形の遠距離戀愛だった。コロナウイルスの流行によって各國では入國が厳しく制限され、まったく會えなくなってしまった二人は、ついに結婚へと踏み切った。

在長達5年的交往時間裡,幾乎都是你來我往的異地戀。由於疫情擴散導致各國嚴格限制入境,完全無法見面的兩人終於下定決心結婚。

事情を知らないと、「コロナが二人の絆を強めたんだね」なんて、おめでたい頭でコメントをしてしまいそうになる。しかしそこにあるのは、本人たちの感情も生活も、外野から勝手に「正しさ」をジャッジされてしまう現狀だった。

如果不了解情況的話,大家可能會帶著祝賀的心情說:「是疫情加強了兩人之間的感情啊。」但是,不管是他們的感情還是生活,都變成了被外人擅自判定為「正確」的現狀。

日本も寒さを増してきた11月の初め、オンラインで取材をさせてもらった。9時間の時差があって海を隔てていても、対面で気軽に話せるなんて便利な世の中だなぁと思う。

日本也越來越冷的11月初,我在網上進行了採訪。即使有9個小時的時差相隔大海,也能面對面地輕鬆交談,真是方便的世界啊。

わたしが大學時代にイギリス留學したときはiPhoneが普及し始めた頃で、慣れない face timeで街のWiFiを拾いながら戀人と繋がっていたっけ…なんて思い出に浸っていたら、はにかんだ笑顔のKanさんが畫面に映った。

我大學在英國留學的時候,iPhone剛開始普及,還不習慣用face time,一邊在街上尋找WiFi一邊和戀人打電話…正當我沉浸在回憶中時,畫面上出現了帶著羞澀笑容的Kan。

コロナ禍になって會えなくなった

疫情開始後便沒法見面

「いやぁ、めっちゃ久しぶりです! 『クィア・アイ』ですっかり有名になっちゃって、びっくりしたよ!」

「呀,好久不見了!通過《酷男的異想世界》的節目成了名人,完全驚到我了!」

久しぶりの交流にテンションが高くなる。わたしは母校・ICU でセクシュアルマイノリティに課題について取り組むサークルの代表をしていたのだが、他校のKanさんとはその流れで知り合った。

久違的交流讓我情緒高漲。我在母校ICU擔任社團代表,負責研究性少數群體的課題,與其他學校的Kan相識。

出會った當初から「自分に対してとっても素直な人だな」と感じていて、パッと花が咲くような笑顔と、雨が降る直前の空みたいな悲しい顔の両方が記憶に殘っている。繊細で素直なままで居られる環境や交友関係を、わたしはたぶん羨ましく思っていた。

從相遇之初開始,我就覺得他是一個「對自己非常坦率的人」,花朵綻放般的笑容和下雨前天空一樣悲傷的臉,這兩種表情都留在了我的記憶中。我大概很羨慕這樣細膩而坦率自在的環境和交友關係。

Kanさんの大學での學びは、「自分が何者であるかの言語化」を目的に置いていたという。

據說Kan在大學的學習是以「自己是誰的言語表達」為目的。

「幼稚園くらいから、とにかく日常がつらくて仕方なくて。でも何がそんなにつらいのか説明は出來なかった。ただひたすら學校に行くのが嫌だとか、體育の著替えが嫌だとか、そういうのは感じてたけど…。」

「從幼兒園開始,日常生活就很辛苦。但是我無法解釋到底是什麼讓我那麼辛苦。只是一味地討厭去學校,討厭上體育課換衣服等,總是這樣的感覺……。」

わたしがICUでセクシュアリティについて學ぼうと決めた理由に似ていて、共感した。自分が何に困っているのかって、自分が一番わかるはずだと思われがちだ。周りから説明責任を問われるし、だからこそ、自分でも説明できないものにぶち當たったときの不安感はとてつもない。

這和我決定在ICU學習性知識的理由很像,很有同感。很多人認為自己是最了解自己在煩惱什麼的人。所以被周圍的人問責,正因為如此,當遇到自己也無法解釋的事情時,內心會感到強烈的不安。

そんなとき、大學の講義や文獻が自分のつらさを説明してくれたのは、とても救われた気持ちになったものだ。

那個時候,大學的講義和文獻解釋出了自己的痛苦,我感覺自己被拯救了。

學部修了後、イギリスの大學院へと進學したKanさんは、そこで現在のパートナーTomさんに出會ったらしい。修士課程を修めると、働くことに積極的な興味も期待もないまま、日本の化粧品會社に入社した。會社選びの基準は、「自分らしくいられて、傷つかない環境かどうか」

本科畢業後,Kan去英國讀研究生,據說在那裡遇到了現在的伴侶Tom。碩士課程結束後,在對工作既沒有積極興趣也沒有什麼期待的情況下,進入了日本的化妝品公司。選擇公司的標準是「環境是否適合自己,不會受到傷害」

「それでも日本にある會社だし、本っ當に何の期待もせず入ったんだけど、干渉する嫌な関係性とか全然ない、みんなそれぞれだよねって感じで。つき合ってる人いるの? みたいな話題さえ無いし。すごく居心地がよかった!」

「儘管如此還是在日本的公司,真的沒有懷揣任何期待就進去了,但完全不會感到討厭的干涉影響,大家都是各做各的感覺。也不會有人問你有交往的人嗎?這樣的話題。感覺很舒服!」

所屬していたチームの雰囲気の良さを、Kanさんは嬉しそうに語る。「へぇえ、のびのび働ける環境が日本の企業にもあるなんて!」と相槌を打ちながら、「あぁ、でもこの人はそんなに気に入った職場を手放さざるを得なかったんだよな…」と、胸の奧がチクリとした。

Kan開心地說起自己所屬的團隊的良好氛圍。「咦,日本的企業竟然也有寬鬆的工作環境!」「啊,不過,這個人不得不放棄那麼中意的工作啊……」胸口深處一陣刺痛。

イギリスの婚姻事情

英國的婚事

素晴らしい職場を諦めてでもイギリスへ渡ることにしたのは、コロナ禍による「旅行者」の入國制限が主な理由だったという。

據說,他之所以放棄出色的工作也要遠赴英國,主要是因為疫情對「遊客」的入境限制。

そもそも平時であっても、海外で一定期間を過ごすには目的に応じたビザ申請が必要となる。たとえばその國に家族がいるというのは、大きな入國理由になることがほとんどで、ビザも下りやすい。

即使是平時,要想在海外度過一段時間,也需要根據具體目的申請簽證。比如在那個國家有家人,這是強有力的入境理由,簽證也容易辦下來。

定住するなら尚更、「家族」と扱われることが重要なのは言うまでもない。では、Kanさんに會いに來るTomさんはというと、日本は同性間の法的なパートナー関係を認めていないので、いつまでも「家族」とは認識されず「旅行者」の枠から脫せないことになる。そういった事情で、彼らはこの一年半ほど會えないまま過ごしてきた。

比起定居,更重要的是被視為「家人」。那麼,前來見Kan的Tom,因為日本法律不承認同性間的伴侶關係,所以他永遠不會被認定為「家人」,擺脫不了「遊客」標籤的束縛。因為這些原因,這一年半以來,他們一直沒有見面。

「そういえば、実際のところどうやって婚姻が完了するんですか?」

「這麼說來,實際婚姻是怎麼完成的呢?」

日本のように、役所に何か提出するイメージも浮かばないけれど。聞くと、ちょっと面白いエピソードが出てきた。

雖然不像日本那樣,想像的是要向政府提交什麼資料。一問後才知道出現了一個有趣的小插曲。

「結婚のセレモニー自體が、証人の前で書類にサインすることとセットになってて。ビザの関係でなんとしても9月に結婚しなきゃいけなかったけど、その頃はまだ日本から誰も呼べない狀況だから、僕としては可能ならセレモニーを後回しにしたいって言ったの。

でも、書類と式を分けられる文化じゃないらしく、Tomには意味が伝わらなかったみたい。もう一回結婚式をするってこと? って言ってた(笑)」

「結婚的儀式本身,包含要再證人面前進行文件簽署。因為簽證的關係竟然必須得趕在9月份結婚,但那時還邀請日本的親戚朋友來,我想可以的話想要推遲儀式。

コロナ禍に國をまたいで結ばれた二人ならではの出來事だ。KanさんのInstagram で當日の様子を見ていたが、イギリスの風景と二人らしさが合わさった本當に美しい式だった。日本ではまだ奇異の目を向けられる同性間の関係だが、どんな偏見やトゲも消してしまえそうな、純粋無垢な幸せがそこには詰まっていた。

這是在疫情中跨越國家連結在一起的兩人完成的事情。在Kan的Instagram上看到了當天的情況,英國的風景和符合兩人個性的儀式,真的很美。在日本,同性之間的關係還是會引來很多奇怪的目光,但那裡充滿著簡單純粹的幸福,像是不存在任何的偏見傷害一搬。

Tomさんとのことを話すKanさんは、他の話題のときにも増して素敵な顔で笑う。相手が大切でたまらないという、一番シンプルな気持ちが現れた表情だ。

說起Tom的事,Kan笑起來比談論其他話題時更有魅力。這是表示重視對方的這種最自然的感情流露。

こちらも聞いていて自然に笑顔が出てしまう、裏の無い話し方。そんな受け答えを見ながら、「ここ最近は特に、誰かの裏側にある気持ちを読み取ろうとしてしまっていたなぁ」と、心の中で自分を見つめてしまう。

我聽著也自然地露出了笑容,沒有特別的表達方式。看著這樣的回答,我不禁在心裡審視自己:「最近我有特別想去解讀誰的內心啊。」

石が投げ込まれれば波紋が広がり、風が吹いたらさざ波が立って、覗き込めば自分が映る。Kanさんってまるで湖みたいだ。前回と違って知り合いへのインタビューだからか、こんな風にときどき思考が勝手に旅出ってしまう。

投入石頭,湖面就會有波紋擴散,風一吹,就會有波浪泛起,往裡一看,映出的是自己。Kan簡直就像湖一樣。和上次不同,因為這次是對熟人的採訪,所以我的思緒有時會像這樣不由自主地表達出來。

モニター越しで再會した橘さんとKanさんの話は、このあと「自分にスポットライトを當てる生き方」や「ネットの誹謗中傷に思うこと」などにつながっていきます。その詳細は後編の「同性婚したKanさんに「家族ってなんですか?」と聞いたら、意外な答えがかえってきた」でお伝えします。

通過屏幕再次見到橘先生和Kan先生的故事,之後就會延伸到「聚焦自己的生活方式」和「面對網絡誹謗中傷的想法」等。詳細內容將在後續「向同性結婚的Kan詢問『家人是什麼?』,得到了意外的回答」的文章中告訴大家。

本翻譯為滬江日語原創,未經授權禁止轉載。

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